JR鶯谷駅の南、徒歩5分。寛永寺36坊の一つ。寛永5年(1628年)、権大僧都什誉師が創建した。 元禄9年(1696年)、宝永6年(1709年)、明和9年(1772年)にそれぞれ焼失したが、その都度復興された。創建の地は現在の現龍院墓地がある一帯で、享保5年(1720年)に山下の下寺通りに移り、戊辰後は谷中の浄名院裏をへて、大正3年(1914年)に現在地に移転した。 寺から少し離れたところにある墓地には、徳川家光死去に伴う殉死者の墓がある。