JR青梅線拝島駅の西、徒歩15分。睦橋通りに面している。応永5年(1373年)、秀長僧都を開山として創建されたと伝えられるが、定かではない。近世の初めごろ(17世紀)まで修験の半沢覚円坊が、多摩一円の修験の支配の拠点としたも伝えられる。 寺はあきる野市の大悲願寺の末寺で、墓所には江戸時代に熊川郷の地頭であった旗本田沢氏の墓があり、福生市の史跡に指定されている。 また、寺では江戸時代の作とされる如意輪観音坐像を安置しており、市の有形文化財に指定されている。