JR西日暮里駅の南、徒歩5分。青雲寺と同じ通りにある。天正3年(1575年)日運上人による開創で、その後日純上人が現在地に移転して再興したと伝えられる。 このあたり一帯は江戸時代には「ひぐらしの里」と呼ばれ、行楽地としてにぎわったところで、妙隆寺(合併して現在は修性院)や青雲寺は境内の庭園に四季の花々を植え、「花見寺」と呼ばれて文人墨客や江戸庶民を楽しませた。 修性院の布袋は谷中七福神のひとつで、「日ぐらし布袋」ともよばれる。