地下鉄日比谷線三ノ輪駅の北,徒歩5分。延暦10年(791年),坂上田村麻呂が創建したと伝えられる古刹で,江戸時代には通称百観音として信仰を集めたといわれる。 慶応4年(1868年)に上野の山内で戦死し,放置されたままになっていた彰義隊の遺体をこの寺の23世住職佛磨和尚が供養して埋葬した266人の墓がある。また,これが縁となり,上野寛永寺8門のうちの正門であった黒門が明治40年(1907年)に現在地に移築されている。