JR南千住駅の南西,徒歩3分。寛文7年(1667),本所回向院の分院として住職の弟誉義観(ていよぎかん)が開いた寺で,小塚原処刑場で処刑された者たちの遺体を埋葬する場所とされた。 梅田雲梅や橋本左内ら安政の大獄の受刑者や桜田門・坂下門外の変の水戸浪士など明治維新の志士たちの墓が多い。このほか,鼠小僧次郎吉,片岡直次郎,雲井龍雄,高橋お伝などの墓もある。 また,前野良沢が小塚原で刑死者の解剖(腑分け)に立ち合い,のちに杉田玄白らと『解体新書』を翻訳して医学史上に功績を残したことはよく知られており,その観臓記念碑が寺の壁にはめ込まれている。