地下鉄日比谷線三ノ輪駅の南、徒歩5分。明暦元年(1655年)ごろに金地院住職最岳元良和尚が自らの投老の地として創立した小寺で、金地院住職退任後の隠居処、隠寮寺であった。 関東大震災、戦災などで文書等を焼失し、文政元年(1818年)以降の過去帳しか残っていないため、歴代住職のうち、1世から9世までは金地院住職の引退記録に基づく暫定的なものとされている。 近くに日光街道が通っており、将軍の足洗場(休憩所)に指定されていたという歴史が残されている。