地下鉄日比谷線三ノ輪駅の南、徒歩10分。新発田藩藩主溝口宣直と杵築藩藩主松平英親が開基となり、愚堂東寔大和尚を開山として承応3年(1654年)に正燈庵と号して創建し(諸説がある)、元禄元年(1688年)僧徳海の代に東陽山正燈寺と改めたと伝えられる。 京都の高雄からもみじを移植し、江戸時代には、南品川の海晏寺とともにもみじ寺として有名であった。名所図会に「もみじ寺」として登場し、加舎白雄や小林一茶らが正燈寺の紅葉を句に詠んでいる。 しかし、関東大震災や戦災で紅葉は失われ、今はない。