地下鉄銀座線稲荷町駅の東、徒歩5分。慶長16年(1611年)、望月貞久が開基となり、源秀を開山として現在の日本橋浜町あたりに創建され、正保元年(1645年)に現在地に移転したと伝えられる。 享保3年(1718年)、望月貞久の子孫が稲荷神からのお告げを夢で見たことを契機として、伏見稲荷大社より分霊を勧請し、祠を柳の木の下に設けたことから「柳の稲荷」と呼ばれるようになったと言われる。 昭和20年(1945年)の東京大空襲で堂宇を焼失し、昭和28年(1953年)に本堂が再建された。 御府内八十八ヶ所霊場61番札所である。