地下鉄日比谷線入谷駅の東、徒歩15分。かつては湿地帯だったが、吉原遊郭街がつくられた際に埋め立てられて池の一部が残った。その池は花園池・弁天池の名で呼ばれ、池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰を集めたと言われる。 大正12年(1923年)の関東大震災では遊女ほか大勢の人々がこの池に逃れ、約500人が溺死したと伝えられる。その後埋め立てが進んで池は小さくなり、現在は名残をわずかにとどめているに過ぎない。 昭和10年(1935年)に吉原神社に合祀されたので、正式な神社ではないが、境内には大きな築山と観音像のほかさまざまな慰霊碑などが残り、悲しい歴史を伝えている。 →旧吉原遊郭跡