JR信濃町駅の北、徒歩5分。天正15年(1587年)心蓮社利貞上人が市谷本村町に創建、明暦2年(1625年)現在地に移転したと伝えられる。弘化2年(1845年)の青山大火災の際、寺の六地蔵の前で火勢が弱まって四谷が延焼を免れたため、以後「火防地蔵」「火よけ地蔵」と呼ばれてきた。 明治以降寺は荒廃し、昭和20年の空襲では焼失したが、その後仮本堂を建築して復興した。 現在の耐震耐火建築の本堂などは平成9年(1997年)の再建。境内には弘化3年(1846年)造立の火除地蔵尊がある。