JR信濃町駅の一帯。地名の起こりは、江戸時代に永井信濃守の別邸があったことに由来している。当時は町屋もない辺鄙なところであったが、明治になってから明治神宮外苑が造営され、大正時代に慶應義塾大学附属病院が出来て現在のような街並みの基礎ができあがった。 明治神宮外苑の玄関口になっており、駅を出ると正面に慶應義塾大学附属病院がある。さらに周辺には創価学会本部など創価学会の関連施設が多い。 駅の北側、外苑東通り沿いにオフィスビルや商店や飲食店などが並んではいるが、にぎやかな繁華街などはなく、その奥は住宅街となる。