地下鉄新宿三丁目駅の東,徒歩5分。正式名は十劫山無量寿院成覚寺という浄土宗の寺だが,江戸時代には「投げ込み寺」と呼ばれたことで知られている。 これは 江戸時代に内藤新宿の宿場の遊女が死ぬとこの寺に投げ込まれたことから付いた名称で,境内にはその供養のために万延元年(1860年)に建立された「子供合埋碑」がある。子どもとは遊女のことである。 また,遊女と玉川上水で心中した者を供養した旭地蔵や、幕末の戯作者恋川春町の墓がある。