都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅の北、徒歩7分。増上寺が貝塚にあった頃の学寮だったとされ、増上寺が芝の現在地に移転した後、元禄8年(1695年)に増上寺の子院となったといわれる。宝暦11年(1761)、9代将軍徳川家重霊廟造営のため赤羽橋北詰西側に移転し、昭和25年(1950年)現在地に移った。 境内にはお竹大日如来像と流し板を祀ったお竹大日堂があり、江戸時代には参詣者が多かったと伝えられている。お竹は名主佐久間勘解由家の下女で、その人柄と行為に関する美談が言い伝えられている。 表門は建築年代は明らかではないが、江戸時代中期に建立されたものと推定され、国の有形文化財に登録されている。