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科学者の眼(10)
“のしイカ”は不滅です。

  川合 慧 放送大学教授


 かなり昔に読んだ電子回路の本に,次のような文章が載っていた。

―いわゆる増幅器(アンプ)は増幅器ではない―

 おやおや,と思って読み進めると

―“のしイカ製造機”こそが本物の増幅器である―

 と続く.要するに,いわゆるアンプは元のもの(信号)の幅を増やしているわけではなく,「幅が大きな別物」を作っているのだ,と言いたかったらしい。確かに,元のイカを押し広げる“のしイカ製造機”や,鉄板のロールを作る圧延機,あるいは“そば打ち作業”などの方が増幅器の名にふさわしいような気もする。電子回路で作った“増幅器”は,小さな電圧変化または電流変化を使って,大きな電流を大きく変化させることで機能する。入ってゆくものと出てくるものが同種の電気信号なので,「幅が拡大した」と思っているだけのことである。つまり,本当は別(の信号)なのに見かけ上同じもの(信号)が変化したように見えている訳である。信号としての取り扱いに限れば,これはこれでなんの支障もない。

 「デジタルデータは劣化しない」とよく言われる。アナログデータと較べると,0と1になっているデジタルデータは永遠に変らないというのがその理由である。コピーしても,もちろん0は0,1は1のままなので完全な複製がとれる。その結果として音楽などの違法コピーの問題が発生している。このことを常に意識するべきであるのが情報社会での必須の常識と言ってよい。

 この話を増幅器−“のしイカ”関係で考えて見よう。デジタルデータの0と1は,実は具体的な「もの」として存在している訳ではない。極端なことを言えば,我々の頭の中だけにあり,社会の約束事として使われているだけなのである。この意味で,つまり我々が0と1という考え方をしている限り,デジタルデータは劣化しない。

 一方,実際の0と1は,何らかの方法で物理的に表現される。
紙に印刷された「0と1」,電流のオンオフ,半導体メモリ中の電子の量,などがその例である。これらの物理表現は,もちろん時間とともに劣化する。そこで,表現している0と1が判別できなくなる前に読み出して,別の形式で記録し直すことになる。つまり,約束事としてのデジタルデータは劣化しないが,実際のデータは読取りと再書込みによって劣化を防いでいるのである。でき上がったものは,元のものとは全く別物ではあるが,デジタルデータを考える限り同じものとして構わないことになる。

 実体が変わっているのに全体的には不変と思われる例はたくさんある。“××軍は不滅です”とか“わが校は開闢百年を迎え”といったものもそうだし,考えて見れば我々の体も構成物は何度も入れ替わっている。たまにはこのような,「変わっているのに変わっていない」あるいは「変わっていないのに変わっている」ことに思い及ぶのも一興であろう。                                           

 

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