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科学者の眼(7)
キッチンの1ビット

 川合 慧 放送大学教授

 台所で食器を洗おうとして、蛇口からの水が茶碗などで飛び散って、服を濡らしたことはないだろうか.もっとも、コンビニ食だけだと食器を洗うこともあまりないかも知れないが.この「飛び散り」の主原因は、茶碗などに強い水流が(上から)注がれた場合に、ほとんどすべての水が方向を変えて茶碗の縁から飛び出してくることによる(写真1).こうなってしまった場合には、水を停めるという直接的な方法以外に、水流を一瞬とぎれさせるという手もある.蛇口からの水を手で一瞬受けるようにすればよい.そうすると、水流の強
さや位置は前と同じなのに、水は一度おとなしく茶碗にたまったあと、縁から静かに流れ出るようになる.先ほどの飛び散り状態に戻ることもない(写真2).

 このいまいましい現象を,ちょっと別の目で考えてみよう.思考実験として、水流の強さをいろいろ変えたときの、茶碗にたまる水の量(深さ)を考える.まず,水の勢いが弱くてちょろちょろ程度の場合は、水は茶碗一杯に溜る.静かに注がれるので,もちろん飛び散ったりはしない.ところが,水流の強さを少しずつ強くしてゆくと、ある時点で茶碗に溜っていた水が全部押し出され、「飛び散り状態」に移行する.重要なことは、水の深さが除々に浅くなっていくのではなく、ある強さを越すと突然ゼロになることである.さらに面白いのは,一度「飛び散り状態」になった後,今度は逆に水の勢いを少しずつ弱めても,このゼロ状態のままでいることである.そしてさらに弱めてゆくと,ある時点で突然に一杯に溜った状態に戻る.

 以上の変化の様子を図にしてみよう.横軸は水流の勢い,縦軸は溜っている水の深さである.ここで,破線で示した中間の勢いの場合,水が一杯に溜っている状態(除々に強めた場合)と,水がない状態(除々に弱めた場合)の2つが存在することが見てとれる.このように,周りの状況(この場合は水流の強さ)が同じでありながら2つの状態が安定的に存在できるとき,この様子を専門用語で双安定(bi-stable)と言う.双安定状態では,ON/OFFの1ビットを記憶していることになり,コンピュータがデータを記憶できることと同じ原理が働いている.コンピュータの回路では,一般にフリップフロップと呼ばれる素子が,双安定状態を利用した記憶素子である.ここで見たものは,さしずめ「水フロップフロップ」とでも言えるものである.

 この水流の双安定性を利用した記憶素子は作れるだろうか.もちろん原理的には可能だが,水を流し続ける必要があるので,電気(電流)のようにはいかないだろう.ここでは,日常生活に見出される双安定性を紹介してみた.壁一面にシャンペングラスタワーのように設置された「水コンピュータ」を想像してみるのも楽しい.
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